世迷イ言
学生時代に同級生たちから「こんなものは役に立たない」「シリアスな用途には向かない」と言われていた頃からデジタルカメラを使っていた。その頃、一眼レフは高嶺の花で、コンパクト機もそれほど安くはなかった。意を決して買った中古のCoolPixの画質は上質…
自分の奥へ奥へと迷い込んでいく黄昏。 (人にとってなくてはならない写真、というものが存在するとしたら、それはどんな写真だろう) (それは、記憶に従事する写真だろうか) カメラを片手に再開発で漂白されたような駅東の大通りを歩きながら、私は迷い込…
招待状を捨てたとか、行きたくないとか言っておきながら、24日は結局ヴェルニサージに出た。 24日に私がモデルをしてもらった友達の家に写真を持って行った際に、二人の共通の友人である私の同級生に偶然会ったのだが、その際、彼女に絶対にヴェルニサージに…
あるひとつの物事があって、そこから何を受け取る事ができるか、何を引き出すことができるか、それをどのように見るか、という部分は(当たり前だが)人それぞれに異なる。その人それぞれの振舞い方に、その人の品性のようなものがにじみ出てしまうものなの…
学校から帰ってみると水が残り少なくなっていた。冷蔵庫が壊れてからというものの、私は買い置きをしなくなった。そうすると一日二日で何かが欠ける。私は日が暮れかけたあたりに水を買いに出た。 扉に鍵をかけ歩き出したところで私はカメラを忘れたことに気…
なんと言えばいいのか分からないけど、私は絵が上達する、ということ自体にはあまり興味が無い(「上達」の定義自体も非常にあやふやだけど)。実現したいイメージがそこにあって、それが実現できないので何度も描き直したりラフを重ねて練習するということ…
私たちが目指す方向というのは「私ならこうする」「世界はこうあるべきだ」という理想の世界のクロッキーを現出させる方向性に向かってであって、すべてはそれに向かって引き絞られるべきなのである。
学校で白黒ラボで引き伸ばしをしていたときにふと気がついたのだけど、写真的なイメージには大きく分けて、その写真に写っている被写体すなわちイメージの対象になっているものに興味の本質がおかれているものと、被写体自体はどうでもよくイメージそのもの…
今日の午前中の撮影実習は昨年の授業のおさらい的な内容だったので、さっさと課題を終わらせた後に、年間課題の一つである自由課題について先生に少し質問をした。 私はまず、例えばあるテーマに沿って毎日写真をアップデートし続けるウェブサイトを半年間継…
目標があると、それが達成されたときにそれは抜け殻になってしまう。
この日は飛びぬけて暑かった。太陽は照り付けるようで、日向は確実に40度を超えていたと思われる。 そんな中、友達に誘われて屋外コンサートを見に行った。紹介のWEBページで参照した音楽にはほとんど興味がなかったが、そこに集まる彼の友達に会いに私は出…
この日も暑くて、昼に窓を開けると熱気が部屋の中にむわっ、と進入して来た。日陰でも35度を越えていたような気がする。 この日は友達に誘われてTFC/Strasbourgを見に行った日だった。ゲームは夜8時から始まるので近くの橋のたもとで7時に待ち合わせよう、と…
綺麗な絵が写真の様だと譬えられた場合、その裏には写真は綺麗であるという考えが潜んでいる。どうして写真は綺麗でなければならないのだろうか。 同じ光景が最終的に二次元の平面に収められたとしても、絵画は、二つの目で見たものを画家の脳で一つの映像に…