仙台写真月間2005・八

大宮瞳子展を見た。
わかりかねるところが幾つかあったが、良い展覧だった。もっと振幅が大きくても良かったかもしれない。
会場で作者さんに話しかけられ、考えた大半のことはその場で喋ってしまったので、それを再びここに書くことは気乗りがしない。かわりに、会場で考えていた言葉をここに書き記しておく。

 「私」は夜に居る。
 夜の手触りは雨滴に滲んだように不鮮明だ。
 これは悪夢なのだろうか。
 私は夢から目覚める。
 目の前に一匹の名も知らぬ虫が居て、きらきらと輝いている。
 夢の中で私は、この虫だったのだろうか。
 私は見知らぬ海辺を歩き出す。
 他人行儀な草叢に突き当たり、橋へと道を変える。
 電車が来て、私はあの草叢を横目に光の世界へと旅立つ。
 そこはまぶしくて、何もかもが光に融けて行くようだ。
 いつか見た光景も、いつも見ている光景も、何もかもが光の中で等質化されてゆく。
 私は電車を降りる。
 とたんに身体の重さを感じて息苦しくなる。
 視界が青黒くなり、見下ろした街には腰の曲がった老婆が歩いている。
 歩いた川べりには正体も知れぬ人たちが何事かを囁き合っている。
 気がつくと、明るく開けた土地に居る。
 ここはどこなのだろう。
 美しく、色彩以外何も無い土地が続く。
 空に飛行機が飛んでいるのを見て、帰らなければならない、と思う。
 私はこの世界に別れを告げて、再び列車に乗る。
 列車は一瞬にして私をもといた世界に連れ戻す。
 私は一瞬だけ垣間見た光の世界を探して枇杷に手を伸ばすが、それはあの記憶には結びつかない。
 そうして私は、依然として曖昧な夜に居る。