思い出したこと

http://d.hatena.ne.jp/icky0157/20030522
うちの母方の祖父は、私が高校生になってしばらく経ったときに、肺から始まった癌の転移で亡くなった。私は彼とはそう近しい間柄でもなかったのでそう詳しくは知らないが、癌が見つかって摘出手術を受け、回復して退院するもしばらく後に癌の再発が確認されて再入院、それが長期入院となりそのまま亡くなってしまった、という経過をたどったと思う。
二度目の入院の途中、彼が亡くなる数ヶ月ほど前に「もう長くは生きられないから」と病院側が彼を家(もちろん彼の家)に帰して来た事があった。そのときに私は母親に連れられ彼の家を訪ねたのだけれども、テレビの競馬中継を見ては一喜一憂し、私と将棋を指そうとする(結局出来なかったが)姿に当時高校生だった私は、なんだ案外元気じゃないか、と思ったものだった。
しかし病状が悪化し、再び入院生活に戻ってからの彼の衰弱は随分と激しかったらしい。私はそれを看病に当たっていた母親の口から聞いた気がする。病院に戻ってからは彼は食事もままならないので胸に管を通して直接に栄養を注入されていたらしいし、薬漬けで意識もあまりはっきりしていなかったらしい。でも、自分が死に向かっているということは自覚しているようだった。ただ、その終わりは医学によって不安定に引き伸ばされており、私たち家族にも彼自身にも、終わりの位置は宙吊りにされていて見えなかった。結局、彼は最後の一週間を意識が殆どないような状態ですごし、死んだのかそうかもわからないような状態で死を迎えたのだという。彼の訃報を聞いたときの私の感想は「あ、死んだのか」であった。彼の死は来るはずのものでありながら、なぜか永遠に引き伸ばされて訪れることが無い様に思われていた。それは、余りにもあっさりとした死の訪れであった。
彼が死んだのは夏のさなかで、葬式は手早く済まされた。葬式の最中、私は寺に据えられた白黒の写真を見ながら「ずいぶん若いときの写真を持ち出したな」などと考えていた。その頃の私にとっては何かが決定的にずれていて、そこで行われている何もかもが俗っぽく、形だけのように思え、白々しかったことを鮮明に覚えている。
#もしかしたら、そのときの私の中では彼は既に死んだものとして扱われていて、現実の肉体的な死というものが後からついてきたように思えたから私はそのように感じたのかもしれない。多分、彼は生と死の中間の状態に余りにも長く宙吊りにされすぎたのだ。もっとも、これは看護もしないし入院費用も払っていない人間だからこそ吐ける言葉だとは思うが。