観た

時をかける少女」を観た。
友人と夕方にアーケード通りで待ち合わせ、仙台フォーラムという映画館へと向かった。はじめて訪れる映画館に向かって、私たちはアーケードの途切れたところから15分くらいは歩いた。想像どおり小ぢんまりとした建物だった。映画館へ行くのも、誰かと一緒に映画を見るのも、久しぶりだった。上映が終わって外に出ると、既に夜だった。友人と、面白かった、よく出来ている、と言って唸った。
良くできている映画だと思う。いろいろな要素が複雑に絡まり合っているのに、見る側に混乱を起こさせないし、見終わった後には一種の爽快感すらあった。幾つかのテーマが重層的に扱われている事がよく働いていて、間口を広くさせているのだろうな、と思った。この、観客に対しての間口のひろさというのは最近、うっすらと考えはじめたテーマだった。
ラン・ローラ・ランという映画を思い出した。大作ではないけれど、好きな映画だった。この映画にも、主人公が走るシーンがある。
走るシーン、で思い出したけれども、「時をかける少女」において真琴が走るシーンがある。このシーンで、真琴が画面の進行速度に負け、画面外に一度消えてしまう演出がある。このときに一瞬、不安になった。走る主人公が画面の速度に負けて画面外に消えて行く事は…今では珍しくない演出なのかな…運命に負けると言う事を意味する、と私は思っていたからである。だから、そのシーンでは握りこぶしが見えているんじゃないか、などと思って画面の端に向かってじっと目を凝らしていたのだけど、画面は流れる風景を写し続け、真琴の姿は数秒間の間画面から消えていた。もっとも、真琴が走り続ける喘ぎはずっと聞こえていたし、その後、彼女は画面の流れゆく速度を超えて、ずっと前へと飛び出して行くのだけど。