「生まれるイメージ」展


16日になぜ山形に行ったのかというと、山形美術館で行われている「生まれるイメージ2007」展*1のギャラリートークを聞きに行ったからだった。ギャラリートークは5月26日、6月9日、6月16日と三度行われ、16日は倉田研治と元木孝美の二名によるトークセッションがあった。私がお目当てだったのは倉田さんのギャラリートークだったのだけど、元木さんのトークもおもしろく、充実した一時間となった。


倉田さんの今回の作品は、完全な新作というわけではなく、仙台写真月間の際に出したシリーズの再構成とでもいうべき作品だった。ギャラリー宙では横一列に並べられていた正方形の作品群に幾つかのイメージを加えた、計49点のイメージを7×7のグリッドに隙間無く並べ、4メートル四方ほどの大きな平面を作っていたのである。山形美術館の三階展示室は、床面積としてはとても広いわけではない。しかしこの美術館の特徴でもある、とんがり屋根の真下に位置する展示室は高さがある。今回の倉田さんの展示は、おそらく展示空間の高さに対応したものなのだろう。
美術館の壁面には、大きな青い空間が広がっていた。


さて、ギャラリートークである。
倉田さんは機械の眼と人間の眼の差異についてやや強調気味に喋っていた、と思う。タングステンのフィルムをデーライトで使用することや、アウトフォーカスの写真は、人間の視覚にない機械の視覚を見せるための仕掛けだ、というような事を強調されていたと私には思われた。以前、私は倉田さんのこのシリーズに対し「観測機械的な眼が地表をスキャンし記録しているような写真」と書いた*2が、その感想はそう遠いものではなかった様だ。

人間の視覚が写真的になっている現代での、純粋に写真的な人間の眼に寄り添わない視覚の提示。
少し昔にさかのぼれば、プロヴォークが「アレ・ブレ・ボケ」という手法を用いて機械の眼と人間の眼の差異をあぶり出していた。倉田さんの作品も、彼らの問題意識を受け継いでいるのではないだろうか、と私はギャラリートークを聞きながら思った。


ここからは余談になるけれども、倉田さんがデジタルとアナログの差異について語った、フィルムに痕跡を残すのは、その被写体から反射された光そのものである、という言葉がとてもおもしろかった。メモ。