オルガン、というと私はフランスの教会で聴いた演奏を思い出す。それは帰国の数ヶ月前の出来事で、田舎町に友人宅を訪ねていった折であった。照りつける陽射しを避けようとしたのか、そこから漏れるオルガンの音に誘われたのか、私は川沿いにある教会に入った。質素な教会だったが決して小さくはなく、入り口の上に備え付けられたオルガンも立派なものだった。そこでは丁度オルガンの練習が行われていたとみえ、修道僧の様なつましい僧服を着た男が一人でオルガンを弾いていた。男は譜面台に楽譜をのせてはいたが、それを一度もめくることもなしに長いフレーズを弾いた。暗譜していたのかもしれない。いずれにせよ弾きなれた様子であった。私はその曲を聴きながら、どこかで聴いた曲だ、と考えていた。バッハかもしれない。しかし、そこはカトリック系の教会であった。私はステンドグラス、男の背面に位置するクリプトの上に作られた色彩の戯れを眺めながら、それが一体何の曲なのかを思い出そうとしたが、全くわからなかった。私はステンドグラスから頭上の暗がりへ目をやった。パイプオルガンが建物の後端に配置された教会においては、演奏中のオルガン奏者には鍵盤と楽譜以外、何も目に入らない。クリプト、演台、司教座、磔になったキリスト、ステンドグラス、礼拝堂、信者たち、祈りへ捧げられた蝋燭、全てに背を向けた暗がりの中でオルガン奏者は演奏する。そこには、明らかにひとつの世界が存在していた。