仙台写真月間2005・四

http://www.gekkan.info/MPS2005/
倉田研治展については明日、と昨日書いたので今日書くことにする。

展覧を見た最初に抱いた疑問は「なぜ、この青なのだろう?」ということであった。
作品は昼光下でタングステン用のフィルムを用いて人気のない岩山とその植生を撮影したもので、独特の青が写真を支配している。全ての写真は厚めのアクリル板の後ろに貼り付けられており、透明なアクリルがその青の深さ、澄んだ印象を増しているようだ。

次に目に付いたのは、プリントのシアンの微妙なぶれである。プリントによって微妙なシアンがかかったり、かからなかったりでブルーの色調が常に同じではないことに私は気がついた。
正面に置かれた大きく伸ばした二枚の写真と周囲の写真との間の、質感の差が気になる。大きく伸ばされた写真の方がトーンに乏しく、ひどく乾いた感じがする。この質感の差異も、私の目を惹いた。

全体を一回り見て抱いた疑問は「どうしてこの人はこの様な写真を作ったのだろう?」である。
私はうまくこの写真世界に入り込むことが出来なかった。

第一印象においては、青という色、人の居ない風景から(安直にも)死の世界を想起したが、そこに現れる植物及び植物の時制に関わる表現を見る限り、どうもそうではない様だ。
岩石の写真を見るうちに、光と岩石が作り出す光景に対する、写真的でプリミティブな感動のようなものが感じられたので、それを手がかりに写真を見てゆこうとしたが、それでは写真を青くする意味がわからない。
もしも私が、この種の、光に対する感動から写真を作るとした場合、タングステンフィルムよりもモノクロ写真を用いるだろう。モノクロ写真ならば、ここにあるようなタングステン用のポジをプリントするよりもトーンコントロールが容易で、トーンの豊富な写真が作れる。トーンを黒ではなく青にしたければ、モノクロ写真にはセレン調色という手法があり、その意味でもこれらの写真がタングステンフィルムで撮影されていることに対する回答にはなっていない。

わからないままに写真を見続けていたら、作者が声をかけてきた。もう少し見ていたかったので一度断わり、時間を取ってから「どうして写真が青いのか」ということを聞いてみた。
最初の答えは、タングステン用のフィルムを使用することによってその場での人間の知覚とフィルムの知覚のズレを体感することにある、ということであった。次いで、この統一された色調によって撮影条件の違いが緩和され、撮影条件の異なる写真たちが一つの作品群として認識されやすくなる、ということ。最後には、作者がこの青が好きで、青い世界を作りたかったと言うこと。(上の回答は私のまとめであって作者の言葉どおりではない、念のため)

私は気がついたことについて二、三質問をしてから展示会場をあとにした。
説明を受けた後も、彼の写真世界に対して深く入り込めなかったのが残念であった。それについて思考したり、理解しようとしたりしても、なかなか中に入り込むことが出来ない写真と言うのは、(そう多くはないけれど)存在する。

あの透明なアクリルの板が、私と写真の間に超えがたい距離を作っていたから、だろうか。

(やや走り書きで文章がおかしいが、ひとまず置いておく)