日本庭園

さて、そうしてたどり着いた公園にはToulouseに唯一つの日本庭園がある。そう大きくないその庭園の敷地の中には、笹や松をはじめとする日本調の植物が群生して居心地のよさそうな影を作る。庭園の中央には日本風の庵のような建物が一軒建っている。その庵の正面は鯉や鴨が泳ぐ小さな沼になっていて、その上にかかった真っ赤な日本橋のたもとには大きな柳が植えてある。沼の裏には玉砂利の敷き詰められた庭があり、枯山水よろしく石や潅木が並び玉砂利は禅寺のように砂紋を描いている。
しかし、一通り見てまわれば分かることなのだが、それは紛い物くささを漂わせた代物なのである。全てが嘘臭いのだ。なぜだろう。私はしばし考え込んだ。
緯度の異なる苛烈な太陽の光がもたらす陰影か。似せてはいるものの全く同じとは言えない植生に違和感を感じるのだろうか。はたまた、要素の取り合わせかもしれない。個々の要素は日本的なのに、その組み合わせ方に問題があるのだろうか。多くの要素を小さな庭園に詰め込んだために受ける雑然とした印象が、本来は(持ち主の意思に沿って)整えられた庭園と比較して違和感を与えるのだろうか。細部が問題かもしれない。木々の下生えに苔は無く、地面がからからに乾いている。笹も既に育った笹ばかりだ。木陰に西洋式のベンチが据えられており、枯山水と通路の間には立ち入り禁止のロープが張ってある。砂紋に何らかの趣は見当たらないし、飛び石も全く西洋風だ。庵に畳は無く、板張りの間に土足で上がることになる。もちろん沓脱石などもない。間仕切りに障子のようなものが使われているが、固定されて動かない。枠の間隔は私の実家の障子の格子よりも狭く、その間に貼られているのは白いアクリル板だ。池にかかる日本様式の橋は妙に小さく、そして不自然に赤い。見ていると赤の質が違うような気がしてくる。
ほかにも考えれば考えるほどおかしな点が出てくるのだが、私はそこで考える事をやめた。なぜなら、これ以上をここに求めても仕方が無いのである。庭園を見渡せばベンチの上に寝そべって昼寝をしている人がおり、子供は玉砂利の中に入って遊んでいる。この庭園を訪れ利用する人間はごく普通のフランス人であり、彼らは伝統的な日本庭園というものを求めてはいない。もし完璧な日本庭園というものを造り与えても、彼らは正しく使うことは出来ないままに庭園を破壊するであろう。彼らには彼らなりのニーズがあり、この庭園はそのニーズに沿ってよく造られたものなのである。もちろん、日本庭園の使用方法とその背景にある文化を学ぼうとするフランス人もいるだろうが、それはごく少数派だろう。
私は少し疲れた気がしたので、その日本庭園を出て公園で一休みした。日本庭園よりも公園の方が明らかにおちつくことができる。公園を少し撮影した後、私は帰路についた。