目標もなしにシャッターを押し続けるということ

数日前から、私は暇だった。学校は夏休みだし、書類待ちの物を除いては引越しに関する全ての手続きが終わってしまった。企業研修の話も返信が無く、特にすることが無い。そんな私は朝起きだしてメールチェックをし、朝食を取るとシャワーを浴び、細かな雑務(お金を振り込んだり、銀行の残高を管理したり、分からないことについて電話したり)を済ませると本当にすることがなくなる。ネットをぶらぶらし、疲れると窓の外を眺める。食べ物がなくなりそうなら買出しに出かけ、現像に出したフィルムが上がってくれば受け取りに出かける。一日はひらたく長く続き、気がつくと夜になっている。そんな一日の終わりに寝床に就くと、恐らくこのような時間はこの後暫くは訪れまい、この間に何かをしておかねばなるまい、という思いが私のもとへと去来する。まとまった時間があるから何かをしておかねばならない、という考えはある意味正しく、またある意味間違っている様に私には思えるのだが、ともかく毎日シャッターを押しておこうと思い、できるだけ外に出てシャッターを切ることを心がけるように、と私は寝床でぼんやりと思ったのだった。
そんなわけで、シャッターを押し始めてから数日たった今日の話である。昼下がりの強烈な光線に浮かび上がった窓外の風景を撮影したところ、F90Xに入っていたProviaが丁度終わった。電気仕掛けのワインダがフィルムを巻き戻す甲高い音を聞きながら、私はこれを機にメインのマシンをF90Xから何かに変えてみようと思った。シリコンクロスとブロワーでF90Xを清掃しながら出てきた結論はHexarだった。最近はずっとAi28ミリを使っていたので久しぶりに35ミリを使いたかったし、それに今の私に一眼レフは少し重いように感じられた。手持ちのニッコールを清掃し、F3にも軽く手を入れ終わった。そうしてOM4のクランクを引っ張ったときに、そのアクシデントは起こった。軽快な音をたてて開いたカメラの背にはHP5+が詰まっていたのである。直ぐに裏蓋を閉める。運がよければ数カットの感光で済んだだろう。苦々しい思いを抱きながらフィルムを巻き戻してパトローネを取り出すと、そこには「10枚目まで撮影」と細いマジックで書かれていた。私はその走り書きを目にして、このフィルムの短い履歴を思い出した。このフィルムは、当初はHexarで10枚ほど撮影したのだが、何かの用事でそれを取り出した。その後、OM4で10枚目まで空送りして続きを数枚撮り、そのまま放っておいたところF90Xで開始したProviaでの撮影がメインになり、その存在をすっかり忘れてしまっていたのである。
余談だが、今の私にはモノクロフィルムよりもカラーフィルムの方が断然興味深く映る。モノクロはモノクロであるというだけでこちらの写真の世界では一つのステータスを確立してしまう。モノクロ写真、というだけでなんとなく芸術っぽく見えてしまう眼を持っている人間が多いのだ。…まあそんなことはどうでもいい。私は、カラーで日常を見ているのである。日常の一部を撮影する私の写真にとっては、カラーフィルムの方が自然になのである。
少し考えたのち、私はHexarでそのフィルムの続きを撮影することにした。OM4のスプールに長いこと巻き取られていたためにカールしてしまっていたフィルムのべろを切り、清掃したHexarに入れそのまま暗室で15枚ほど送った。感光した部分や以前のショットにかぶっても、それはそれでよしとすることにしたのである。
HP5+の入ったHexarを手に外に出ると、私の目はモノクロになった。緑に鮮やかな紅い花を撮影しても、モノクロには色彩の対比がないためにカラーほどの鮮やかな結果をもたらさない。自然私の目は花などの色鮮やかな生から遠ざかり、強い日差しに照らし出された石や壁の上を這いずり回った。小一時間ほどぶらぶら歩いて、公園にたどり着く頃にはHexarのカウンターは34コマ目を指していた。私は沼の上に垂れた柳の葉っぱを何枚か撮り、それでモノクロを終わりにした。ベンチの上でHP5+をProviaに換装すると私の目は生き返った。色彩が目に鮮やかに飛び込んでくる。女の、深い赤で染められたワンピースが緑の芝生に鮮やかだった。